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学長からのメッセージ

「言葉の力」の基盤を育てるために

【言葉の力を獲得していく過程とその基盤】

梶田叡一学長
梶田叡一 学長

小さな子どもが言葉をマスターしていく過程を観察すると,まず周囲で話されている言葉に耳を傾けるところから始まる。そして,その過程で繰り返し印象に残った幾つかの言葉を自分でも口にしてみる,という段階に進む。さらには,自分の口にした言葉によって相手が自分の欲するところに応えてくれると,その言葉を同じような状況で繰り返し使ってみるようになる。この土台にあるのは,他に対して自己の欲しいもの,やりたいことを訴えようという個人的な欲求の充足要求である。

 もっと進んでいくと,周囲で話されている言葉をそのまま真似て自分も同じように口にしていく,という段階になる。自分で意味はよく分からないのであるが,あるフレーズを口にすると周囲の人が喜んでくれる,笑ってくれる,といったことを見てとって,それを人の前で繰り返し口にして周囲の反応をうかがう,ということになる。この土台となっているのは,周囲の人から自分に目を向けて貰いたい,周囲の人と交わりを持ちたい,という社交的な欲求の充足欲求である。

 さらに進んでいくと,周囲で話されている言葉や自分が口にしている言葉を,自分の身に引きつけて理解しようとするようになる。何かの言葉が意味するところにこだわってみたり,こういう言い方はどういうことを意味しているのかと周囲の人に尋ねてみたりするのである。自分自身の欲求充足の道具としての言葉という域を超えて,言葉が自分や周囲の様々なことを表現する,つまり「世界」の諸相を表現する何かもっと複雑なものであると感じるようになるのである。そして,そうした形で言葉にこだわってみることによってはじめて,自分の認識しているところを自分に引き付けて吟味検討してみるようにもなるのである。ここで土台となるのは,「自分自身の認識を基盤を持つ確かなもの手応えのあるものにしたい」という「意味への欲求」と言ってよい。そしてこの場合の基盤となるのが自分の中に積み重ねられてきた多様な体験である。ある言葉がこういう感じを表している,こういう気持ちを,こういう気付きを表している,といった受け止め方をしていくことによって,自分の耳にしたり使ったりしている言葉が自分自身にとって実感的な手応えを持つもの,確かな意味を持つものになっていくのである。

【学校教育を通じての「言葉の力」の獲得と基盤作り】

子どもが成長して学校に入ると,組織的計画的な形で「言葉の力」の育成を受けることになる。これによって小学校高学年以降になると,つまり思春期から後の段階になると,言葉といっても具象的実感的な意味を持つものだけでなく,抽象的な概念や論理を用いたものまでを操れるようになる。こうした具体操作から形式操作へと「言葉の力」が拡大し進展していく段階で大事になるのは,そこでの言葉を定義や論理といった点で吟味しながら用いるという姿勢とそれを可能にする能力である。使用する言葉の要素と体系についての明晰判明な規準に関心を持ち,その具体を学んでいかねばならないのである。これはまさに,きちんと教育されなくては身に付かないものと言ってよい。

 こうした高次の段階になると,言葉の使用の土台となるものは現実の必要性というよりも,「自分自身の知の世界を整理整頓されたものにしたい」「より一層高次なレベルで整序された認識世界を持ちたい」という高次の知的欲求である。こうした志向性の獲得もまた,基本的には学校での教育を通して開発されていくものと言っていいであろう。

【「言葉の力」を獲得していく上での基盤づくり】

学校では,「言葉の力」そのものを育成し高度化させていくと同時に,「言葉の力」を獲得していく上で基礎となるもののを身に付けさせていくことも考えていかなければならない。これまで述べて来たところからも明らかなように,子どもが「言葉の力」を獲得していく道筋においては,少なくとも以下に列挙するような基盤が必要とされる。

 まず第1は,「言語環境の豊かさ」である。幼少の頃なら周囲の人達がきちんとした形で豊かな会話をしていること,子どもに対して機会あるごとに話し掛けること,が重要な意味を持つ。このことは,学校においても同じように要求されるのではないだろうか。

 第2には,「言葉を使いたくなる欲求や要求の開発」である。言葉を使うのは,何よりもまず生理的なものを含めた個人的な欲求があるからであり,そして認められたい交わりたいという社交的な欲求があるからである。これが欲しい,これがやりたい,という個人的欲求が,さらには周囲の人との交わりを希求する社会的欲求が弱く薄いままでは,言葉を発しようとか言葉を交わそうとかいった気持ちにはならないのである。こうしたことは学校においても十分に留意していかなければならないであろう。

 第3に,言葉を自分に引き付け意味ある形で用いていくようになるためには,何よりもまず個々の言葉と関連づけることのできる「体験的基盤の豊かさ」がなくてはならない。実感的な土台のない口先だけの言葉を口にしたり書き付けたりして「それでよし」とする段階から抜け出すためには,子どもに様々な場や機会を与えて多様な体験をさせることであろう。そしてそれを口頭であるいは記述の形で表現させる(=体験の経験化)ことであろう。学校においても,この意味において教室の外での多様な体験の場を工夫し設定していくことと,その振り返りと表現をさせることとを,もっと積極的に考えるべきではないだろうか。

 第4に,これと同時にであるが,子どもの側に「自分なりに分かりたい」「自分にピンと来る形で理解したい」という「理解への欲求」「意味への要求」が旺盛でなくてはならない。何事もその場限りの表面的な言葉のつじつま合わせで済ますのでなく,自分に引き付けて考えた上で言葉を用いる,といった自我関与的(エゴ・インボルビング)な姿勢を強めさせることが不可欠である。自分自身の実感・納得・本音を大事にするという志向性を持つ教育を私が強調し続けて来たのも,このためである。

 これからの教育においては,「言葉の力」そのものについて教育の在り方を考えると同時に,「言葉の力」が十分に育ち,活用されるための土台となるものについての教育も考えられなくてはならない。


2009年4月

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